所在地赤穂市坂越167番地の4地先
連絡先NPO法人UWH 0798-37-2080
収容隻数33隻
標準的な係留可能ボートサイズ全長:7.5m、全幅:2.5m、喫水:-1.0m
慶長年間から400年続く造り酒屋です。酒蔵の一角に郷土館があって、昔の酒造道具や廻船業の資料、当時の生活用具類が展示されています。日本酒通なら一度は訪れたい場所です。赤穂の地酒「忠臣蔵」を試飲できます。奥藤酒造郷土館公式HPはこちら
1532年に善祐門徒学西の開基とされる浄土真宗本願寺派のお寺です。本堂(1734年)、山門は後に再建され、鼓楼や鐘楼も同時期に建立されました。本尊の阿弥陀仏は、1632年に奥藤又次郎と云う人が高砂沖で網にかかった木造だそうです。 なんとも、面白い話ですね。
昔、銀行だった建物を修理して、坂越のまち並みの景観を保つ役割をしています。観光案内所でもあるので、はじめに訪ねて資料類を入手することをおすすめします。大正末期に奥藤銀行から始まり、兵和銀行、神戸銀行、赤佐信用金庫、はりま信用金庫の支店として、使用されたとのこと。時代の流れを感じます。
行政や商業などの事務のために1831年~に建築されたのが始まり。平成5年~に解体復元工事が行われて、現在一般公開されています。ここは赤穂藩の茶屋として、藩主が祭礼見物や遊興にたびたび立ち寄ったそうで、2階に観海楼と云う御成之間があります。部屋からの海側の眺望は最高!オトノサマになった気分を味わって下さい。
祭神は秦河勝・天照皇大神・春日大神。創建時期は定かではありませんが、1182年頃には既に有力な神社だったそうで、歴史あるところです。ここの祭礼「坂越の船祭り」は、国の選択無形文化財にもなっています。 絵馬堂に40余りの絵馬があり、中に舟絵馬と しては最も古い280年前の貴重なものもあります。
坂越湾に浮かぶ周囲1.6kmの小島。昔から神地として人が入ることが禁じられていたので、蔓生植物が繁茂する原始状態が保たれています。貴重な樹林なので、国の天然記念物です。
江戸時代から昭和初期の日常生活用具や農耕生産用具、美術工芸品など8000点以上が収蔵展示されています。昔からの暮らしの移り変わりがよく分かる興味深いところです。建物が明治41年に建てられた日本最古の塩務局庁舎という、大変価値の高い建築物だそうです。HPはこちら
田淵家より寄贈された美術品・古文書類を展示保存する施設として、平成9年に開館しました。田淵邸は全体が茶趣のもと、庭園・屋敷は一流の造営がされ、国の名勝に指定されています。田淵家は1673年から当地に住み、文化・文政期には日本最大の塩田地主だったそうで、赤穂藩主もたびたび屋敷を訪れていたとのこと。HPはこちら
花岳寺などの名所旧跡をはじめ、雄大な自然を感じられる県立赤穂海浜公園や温泉施設まで、市内の観光名所めぐりができる周遊バス『陣たくん号』。魅力あふれるスポットを巡ります。
※赤穂観光周遊バス『陣たくん号』の運行はこちら≪赤穂市役所HP≫で確認してください。
車でフィッシャリーナへ行く途中、坂越湾深く生島を過ぎてしばらく行くと、カキ養殖の漁船や加工場が並ぶ港が見え、目指す「海の駅」はここにあります。ここでは色々なイベントを楽しんだり、四季の海の幸を味わったり、新鮮な魚介類を買ったり、何でもありなので是非お立ちより下さい。
※イベントが限定期間であったり、予約が必要だったりしますので、ご利用の際は下記にご確認願います。
兵庫県赤穂市坂越290-7 電話 0791-46-8600
獲りたての魚介類を鉄板で焼いて、街中の店では味わえない美味しさです。メニューは寿司類から煮付、揚物まで豊富に揃っています。 HPはこちら
イキがいい活魚、鮮魚を安く店頭販売している魚屋さん。また、焼きあなご、魚介加工品、カキ鍋味噌などの通信販売も受け付けてくれるので、お土産や進物用を求めるお客さんでいっぱいです。
エサ付きの貸し出し竿で、海に沈んだ人工の島(イカダ)で、放流してある魚を釣ります。釣った魚を買取り、無料で唐揚にしてくれるそうです。
漁船に乗って、定置網漁とかカゴ漁などの漁師さんの仕事を体験することが出来ます。獲れた魚の調理方法も教えてくれて、最後は「わっぱ汁」や浜めしでお腹いっぱいになります。冬季にはカキむき体験もあります。
坂越湾を出て赤穂御崎を回り西に針路をとれば、すぐ目の前に岡山県の日生諸島が待っています。大自然をじっくり心ゆくまで楽しんで下さい。海から見る島々の美しさを満喫したら、いよいよ上陸です。野生動物、初めて知る歴史、新鮮な魚料理、楽しいみかん狩り、島それぞれに特徴があって、興味は尽きません。ゆっくり出来る方は、民宿利用をおすすめします。詳しくは、日生町観光協会へお問合わせ下さい。
日生町観光協会 TEL:0869-72-1919 http://hinase-kanko.jp
周囲28km。野生のシカ、アオサギ、キジが棲息する島で、特別鳥獣保護区域があります。縄文時代の遺跡に因んで、古代体験施設「まほろば」が設けられています。みかん狩りも出来ますよ。
周囲4kmの小さい島ですが諸島の中では最も人口が多く、民宿も数多くありますので四季折々の魚介料理を味わうことが出来ます。島内を巡る約2kmの遊歩道は自然に触れる絶好の道です。
平安朝の都人が往来したと伝えられる由緒ある島。海水浴やみかん狩りを楽しめます。
日生諸島最南端の周囲5kmの島で、北岸が漁港がある賑わい地、南岸が奇岩を楽しめる風景です。元禄時代の防波堤をはじめとする歴史建造物や「自然研究路」の散策をおすすめします。
周囲2kmの小島ですが、キリシタンの流刑地であったことから殉教者の碑があります。
多くの島々の中で、大きいのは以下の4島です。それぞれに特徴があり、ゆっくり時間をかけて全島を巡るプランを立てることが出来れば最高です!
家島観光事業組合 姫路市家島町真浦590-7 TEL: 079-325-8777 http://h-ieshima.jp
家島諸島の中心的な島。東側の“宮”と西側の“真浦”の2地区からなり、宮は漁師町、真浦は海運造船の町の面影があります。
江戸時代に出来た番所(見張所)からの眺めはすばらしいです!
家島の玄関口で連絡船の発着場所です。海運業で栄えた町です。
古い漁師町で、多くの漁船が並んでいます。
坊勢島とを結ぶ渡船の発着場。
家島の美しい海をスポーツで体感出来ます。
プレジャーボートの係留桟橋がある旅館もあります。
一番多く漁師さんの住んでいる島で、島民の年齢が比較的若いのが特徴です。ここでは一般の人も家島周辺で水揚げされる水産物を安く購入することが出来ます。
島の名前について 昔、比叡山の覚円という僧侶がこの島に流されたとき、多くの弟子が彼を慕って島に移り住んだことに由来するそうです。
若い漁師さんも多く、上陸すると活気が伝わってくる島。
「神権さん」とも呼ばれ、漁師の守護神が祀られています。
北端の坊崎を巡ると、眼下に美しい島々と漁港が現れます。
男鹿島より姫路方面を望む
島の周囲の岩が削り取られる砕石の島で、主に砕石関係の人たちが住んでいますが、海水浴場もあり民宿も点在しています。
島の名前について 応神天皇の時代、立派な雌雄2頭の鹿が居て、鹿追から逃げて雄鹿が海を渡ってきたことに由来。対岸の姫路には妻鹿の地名が残っています。
北端の坊崎を巡ると、眼下に美しい島々と漁港が現れます。
左写真の「立ノ浜」の海の家やここに、プレジャーボートが係留出来る桟橋があるのが嬉しい。
家島(アイランドハウス)より西島を望む
島の北側半分は砕石場、南側は自然のままの景観で「兵庫県立いえしま自然センター」があります。ここでは家島の環境を活かした様々な体験を行うことができます。
〒672-0100 兵庫県姫路市家島町西島[ホームページ]
TEL: 079-327-1508
オリーブの島で有名な小豆島は「二十四の瞳」の舞台にもなったので、みなさんよくご存知だと思います。島中に観光スポットがあるので詳細を事前にネット等で調べて、楽しいプランを立てて下さい。ここではプレジャーボートで訪ねる場合の係留地を3か所ほどご紹介しておきます。
小豆島の周囲には、無人島も含めてたくさんの島があります。小さい島それぞれに名前があって、面白いですよ。
面積は14.61km2、周囲は19.8kmです。豊島石の産出のほか、オリーブやみかん、いちごなどの栽培も盛んです。
豊島のすぐ東側に浮かぶ面積1.11km2、周囲5.1kmの島。肉牛の数は、なんと500頭以上!!
土庄町小江の沖に3つ浮かぶうちの1つ。無人島。面積は0.35km2、周囲は2.7kmです。
土庄町小江の西側沖約100mに浮かぶ周囲2.7km、面積は0.19km2の島。小江へは、明治時代の末頃から始まった渡し舟が、定期便として行き交っています。
大角半島の東方約500mに浮かぶ島。周囲1.5km、面積0.17km2、標高103mの無人島です。周囲は水深が深く、天然の漁礁が豊かで、絶好の漁場。
土庄町銀波浦に浮かぶ大余島の面積は0.16km2、周囲は2km。この辺りは、潮の流れが速く、水が澄んでいるので潮干狩りのスポット。1番大きい大余島は、YMCAのキャンプ場、真ん中の中余島は無人島です。干潮時には、島と島の間に道ができて(天使の散歩道とも呼ばれます)、弁天島から中余島、大余島まで歩いて渡れます。
小豆島町福田の沖に浮かぶ小島の面積は0.09km2、周囲は1.5km。昭和40年代前半、ハマチ、タイの養殖を始める目的で島の南側に約200mの防波堤が作られたため、現在は陸繋島となっています。
こちらの小島は、小豆島町坂手沖に浮かぶ面積0.09km2、周囲は1.5kmの無人島で、児島とも呼ばれる。大児島側に八大竜王が祀られているので、南西端はお宮の鼻と呼ばれます。
土庄町小江の沖に、沖之島、葛島と並んで浮かぶ無人島。この島の大きさは、面積0.09km2、周囲1.5kmです。
二十四の瞳映画村の校庭沖に見える無人島。大福部島、小福部島の2島の面積は、0.03km2、海岸線は0.9km。
土庄町大部の沖にある面積0.03km2、周囲0.9kmの島。この大島、中の島、弁天島の3島を、古くから美島と呼ぶ。
小豆島町橘・南風台のすぐ下に浮かぶ島。弁天祠があることから、弁天島とも呼ばれます。江戸後期の「小豆島風土記」によると、佐々木信胤(のぶたね)が星ヶ城に城を築いた時、この島を出番所(砦)としたところから、こう呼ばれるようになったそうです。干潮時には歩いて渡ることができるほか、海食崖がよく発達していて潮の流れも速いため、水質も非常によく、釣りにも、磯遊びにも最適な場所です。
土庄町小海の沖にぽつんと浮かぶ小島。面積は0.02km2、海岸線は0.6km。
小豊島の横に浮かぶ面積0.01km2、周囲0.5kmの小さい島。昭和25年の踏査で、石器時代人の足跡が見つかる。
土庄町双子浦にある周囲45mの小さな孤島。小豆島名所図会には、「住吉神社の社あり、阿豆枳辞摩は神代に二柱の神の生せ給う所にして小豆島の名あり。」 双子浦の「あずきしま」こそ「小豆島」という名残りをとどめる名である。
三都半島の先端近く、小豆島町蒲野の沖に、大小2つの島が寄り添うように浮かぶ美しい島。江戸時代から花列(はなつら)島と称していましたが、明治42年に大阪からきた新聞記者が、「いつまでも海中に浮かぶ美しい島(花寿波)」として紙上に紹介したことから、花寿波島と呼ばれるようになりました。大島と小島の間にある小舟が通れるほどの海食洞門は、海食作用で島が二分されたと推察されています。風化による奇岩も多く、珍しく美しい眺めを楽しめます。初日の出の絶好のスポットでもあります。